すがけいのブログ

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にほんブログ村 韓国百済の歴史と白村江の戦、そして福岡県水城堤との関連を紹介します

「百済歴史遺跡地区」を見る  その2

 扶餘郡では官北里遺跡、扶蘇山城、陵山里古墳群、定林寺址、扶餘羅城が対象となりました。


 さて この 扶餘ですが、五三八年に聖王が、都を公州熊津から錦江下流の泗沘(忠清南道扶餘郡)へ南遷した街でもあり、百済最後の首都でもあります。(なお新羅による半島統一後、泗沘は扶餘郡と改称され、現在では扶餘と呼んでいます)


この扶餘の扶蘇山城を中心とする羅城構築が、大宰府、大野城、基肄(きい)城等の大宰府羅城のモデルであるとするのが定説です。


  扶餘の街はこじんまりとまとまった、古都のにおいの残る街です。


 さらにこの街は、白馬江という大河と版築工法で積み上げた土塁で守られていました。この土塁の構築を羅城と呼んでいます。


 さて街中にある定林寺ですが、六六〇年の唐軍の蹂躙により、殆どが焼き尽くされた街に、残った石塔の存在する寺です。


 

「百済歴史遺跡地区」を見る

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、7月5日(日本時間10時)から、日本が世界文化遺産に推薦する「明治日本の産業革命遺産」について審議し、登録することを決定しました。韓国との小競り合いが続き、ぎりぎりの登録でした。何はともあれ おめでとうございます。


また前日には、韓国の「百済歴史遺跡地区」を世界文化遺産に登録したのもご存じのとおりです。


さて 百済歴史遺跡地区は、忠清南道公州市の公山城と宋山里古墳群、扶餘郡の官北里遺跡、扶蘇山城、陵山里古墳群、定林寺址、扶餘羅城、それに全羅北道益山市の王宮里遺跡、弥勒寺址の8遺跡からなりたっています。


 私のブログのテーマの一つが百済ですから、この歴史遺産登録は、経過は別として嬉しい話題です。


1.忠清南道公州市(熊津)の歴史遺産


高句麗との戦いで王都漢城を失った百済の文周王は、都を錦江岸の熊津(忠清南道公州市)に遷します。そしてこの熊津時期には、文周王、三斤王、東城王(暗殺)、武寧王(在位四七三~五二三)、聖王(在位五二三~五五四)と五代続きます。特に武寧王および聖王は、我が国出身ではないかと思われるほど、倭国と非常に強い絆がある王です。


 まず熊津の公山城を紹介しましょう。錦江(白馬江と同じ)沿いに築城された平城で、現在も発掘が続いていました。



 次に宋山里古墳群から、まったく未盗掘の状態で発見された武寧王陵に安置されていた、武寧王の墓誌です。

 右側一行目から二行目に掛けてですが、斯麻王という文字が読み取れますでしょうか。斯麻王は日本書紀では嶋王と記録され、佐賀の加唐島で誕生したとの逸話が残っている百済王です。私はこの武寧王嫡男である聖王に注目しており、二人の百済王をテーマとした物語を描きたいと考えていますが、果たしていつ完成するかは不明です。




  さらにこの武寧王陵に安置されていた、王と王妃の棺は、日本国内に産地のある「高野槇」であることも判明しました。ますます、我が国との強い繋がりを感じ取れる王なのです。

 私の写真の撮り方がまずく、棺は、奥の黒い二つの五角形の箱状のものです。



次回は、扶餘を紹介しますね





 

一休みして、メキシコ料理に挑戦です

一休みしてメキシコ料理に挑戦です


 私は昨年10月から、メキシコのガナファット大学に 2年間行く予定でした(ジャイカ・シニアーボランティア)。残念ながら 妻の突然の発病・手術により 悔しい想いで渡航を断念しました。


 そんなわけで メキシコには強い思い入れがあります。
 7月3日に町内会で「男の料理教室 メキシコ料理」が開催され、私も参加しました。水城テーマの歴史話はまだまだ続きますが、一休みして メキシコ料理の雰囲気を味わってください。


 まずはメインのティンガです。三種の肉の煮込み料理です。


 このレシピは次のとおりです

 塩はミネラルを含む岩塩を使用します。塩化ナトリウムは健康に要注意であること(但し別説もあり)。サラリーは、報酬として与えていたSALT(岩塩)から、またサラダも、野菜に岩塩を掛けて食べていたことから、同じくSALTが語源となっていることなどを、この機会に学びました。
 次に アローズ です。メキシカンライスのトマト味です

 そして最後は フリホーレスです。黒インゲン豆の炒め煮です。見かけは黒くて美味そうでないのですが、案外 奥深い味でした。今回の三作品の中では、私はこれが気に入りました。


 ハプニングが無かったら、今頃 私たち夫婦二人はメキシコの文化遺産の街ガナファットで 毎日のようにこのような食事をしていたかと思うと 感慨深い気持ちになり、公民館主事さんの差し入れワインを たっぷりと飲み干しました。

 7月7日には 阿蘇高森の七夕祭りを見学してきます
 様子はまたこのブログでお知らせしましょう