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4 「水城堤築造二段階説」登場

4 「水城堤築造二段階説」登場 


実は二〇一一年春に「水城堤築造二段階説」が、九州歴史資料館によって発表されました。


発掘調査の結果、土塁の基底部(幅八十メートル高さ二メートル)と、その上の土堤本体(幅二十メートル高さ七メートル)とは、土を突き固める工法および土質が異なる、と確認できたのです。


そのため基底部と土堤本体とは築造時期が異なると判断し、土堤本体については書紀の記述どおり六六四年完成と考え、基底部については六六〇年頃に築造されたのでは、と推測しています。


これまで書紀の記述を証拠として、「六六三年築造開始、六六四年完成説」以外は存在しなかったのですが、少なくともその定説の一角が崩れたのです。


考古学的に六六三年以前の築造開始が認められたのですから、既に「水城堤築造時期繰上説」を主張していた私には、実に嬉しい発掘でした。



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