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第三話 4 斉明帝の二つの陵墓が意味するもの

4 斉明帝の二つの陵墓が意味するもの


書紀は天智称制六年(六六七年)条の二月、『斉明天皇と間人皇女を小市(おちの)崗上陵(おかのうえのみささぎ)に合葬し、同じ日、孫の大田皇女を陵の前の墓に葬った』と記しています。
この斉明帝の陵墓については、二〇一〇年九月に新しい発掘結果が公表され、斉明帝の二つ目の陵墓発見として大いに話題を呼びました。


4-1  宮内庁による斉明帝陵墓


宮内庁は、奈良県高市郡高取町にある車木ケンノウ古墳が、皇極帝(斉明帝)の墓であると認定しています。車木ケンノウ古墳は直径四十五メートルの円墳ですし、その近くに大田皇女の墓とされる円墳もあります。
「車木」という地名は、斉明帝葬送の車が来て止まったところ、すなわち「車来」であったとする地名起源説もあるようです。これに類似した説話として、菅原道真公の葬送牛車と太宰府天満宮起源の話がありますね。
 
4-2 新発見された斉明帝陵墓


新しく発掘された牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)は、車木ケンノウ古墳から北東に約二キロ半離れた、奈良県高市郡明日香村に所在する終末期古墳で、既に一九二三年三月に国の史跡に指定されていました。「牽牛子」はアサガオの別称であることから、指定時には「あさがおつかこふん」の読みでした。
二〇〇九年九月から二〇一〇年九月の発掘調査によって、この古墳が七世紀の天皇陵の特徴である八角墳(八角形墳)であることが判明し、牽牛子塚古墳が本当の斉明天皇陵ではないかという見方が強まっているのです。


明日香村教育委員会の発表によれば、『墳丘は地震により崩落していたが、高さ約四・五メートル以上と推定され、版築による三段築成の八角墳であること、墳丘の裾は平面八角形状に削られており、対辺の長さは約二十二メートルにおよぶ』ことが分かりました。
また中央部は巨石を刳り抜いて二つの石室(墓室)を設けた、特異な内部構造であることも分かったのです。


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