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第三話 2 斉明帝は不思議な老女帝

2 斉明帝は不思議な老女帝
 
   皇極帝(宝皇女)が孝徳帝に譲位した「生前譲位」も史上初めてなら、斉明帝(宝皇女)として再び即位する「重祚」という即位形式も、史上初めての出来事です。帝位の継承形式において、二つも初めての形式が、この宝皇女時代に出現していることも不思議ですが、同一人物であるはずの皇極帝と斉明帝とが、何故かその人間性において大きく変化してしまいます。
 
2-1 老女帝は土木構造物が大好きです
 
   六十二歳で再び帝位に就いた老女帝は、殆ど表面に出ることのなかった皇極帝時代とは異なり、活発に活動を開始します。
   大規模な土木工事を畿内で開始し、それは政事における三つの過失と言われるほどの批判を浴びる大工事でした。
   三つの過失とは、大きな倉庫を建てて人民の財産を集積したこと、「狂心の渠(たぶれこころのみぞ)」といわれる長い溝を掘って公の食料を浪費したこと、舟に石を載せて運びそれを積んで丘にしたこと、といわれています。
  また九州への征西に伴い築造を開始した水城堤、大野城、基肄城といった大型土木工事も、斉明帝の指示によるものだと考えてよいでしょう。
 

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